HOME MAIL ME! RSS FEED PHOTOS

Music Chan ミュージックちゃん

Music Chan ミュージックちゃん

音楽英語その2

今日はためになる音楽英語の中から特に大切な単語、フレーズを紹介します。
曲を演奏する時に良く使う言葉です。

INTRO (イントロ)は日本語でも使うので説明はいらないかな?
Verse/ ヴァース (Aメロ)

Chorus/コーラス(さび)

Verse とChorusの間にあるセクションは Pre-Chorus, または B−Sectionと言います。
また上記のものと全く違ったセクションをBridge/ブリッジと呼びます。

Break Down /ブレイク・ダウン
メンバーの誰かが、休みになる。ベースなしの場合が多い。ドラムも音量を落としたりスネアを叩かない場合が多い。

Vamp Till Cue /ヴァンプ ティル キュー
ということは、合図が出るまで、同じセクションを繰り返すということだ。
On Cue / オンキュー

キューがきたら次のセクションへ進む。

Lay out /レイアウト
これは”弾かない”ということです。
Can You lay out on the verse? (Aメロのところでは弾かないでね。)
という感じで使います。

Train wreck / トレイン・レック
電車が衝突すること。コーダなどのサインを見間違え、バンドのみんながバラバラになって変な音が出てしまった時にこういう。

Interlude/インタールード
さびと次のメロディの間に起こるサブ・セクションのこと。

First Ending, Second Ending
1番かっこ、2番かっこのこと。

D.S. / ディー・エス
ダルセーニョのことだが英語ではディー・エスという。マークにもどることを、”Go back to the sign”
という。

Let’s take it from the top.
もう一度最初からやろう。

ということで、これだけ知っていればリハの時もある程度何をしたいかがわかり、ついていけると思う。
また英語について質問があれば、どんどんコメントを下さい。

うまい楽譜書きのコツ

 ここのところ結構楽譜書きの仕事が定期的に入ってくるようになった。なにしろここロスで音楽だけで食べていくにはただライブだけではきついので、この楽譜書きの仕事がわたしにとってはかけがえのない副収入となっている。

 もともとこの仕事を始めるきっかけは友人のレニーが(彼はアレンジャー)ピーター・アースキンのオリジナル曲をコンピューターに打ち込むという仕事をわたしにくれたことだった。その当時2000年。前のダンナと別れたばかりのわたしはギグ以外になにができるか、とってもハングリーだった。そこで、レニーやそのまわりのみんなに楽譜コピーの仕事をするといい、と提案され、”フィナーレ”というソフトウェアサンプル楽譜サンプル楽譜を買うことになった。いきなり最初の仕事がホーンセクション9本とリズムセクションという大掛かりな仕事で、今でも覚えてるが一つの小さなことができないために前に進めず、説明書とニラメッコしてあぁだ、こうだ、と言っていたら朝になったという日も少なくない。そうやってつらいスタートをきったわたしだが、8年後の今、苦労も実って、ある程度自由に使いこなせるようになった。

 ここ1〜2年はいろいろ有名なアーティストの楽譜を書かせてもらっている。先日もシーラ Eから電話があって、3曲お願い、とのことだった。またゴスペル/ジャズで有名はジョナサン・バトラーのライブショーを全部楽譜に落としたのは去年のことだった。ある程度、「のりこの楽譜は読みやすい」という評判がたつと、これもギグといっしょで口コミで仕事がくることがほとんど。最近は、「わたしの楽譜だと絶対にみんな読み間違ったりしませんよ。」と売り込みも上手になった。

 さてどうやったら読みやすい楽譜がかけるか、とうことだが、とりあえず大切なコツを書いてみたい。

1)曲のセクションが変わる時に行も変わるように設定。
例えば、Aメロからさびに行く時は必ずさびの頭から新しい行にする。それによって、Aメロの最後の行が5小節とか6小節になってもかまわない。

2)かならずリハーサルレターをセクションごとにつける。例えば、AメロのところはレターA (Aを四角でかこんだもの)なら次のセクションはレターB、というように曲全体をセクションにわける。そうすると、リハの時に「じゃあ Bからやろう。」というふうに簡単にスタートポイントを設定できる。

3)ダルセーニョやコーダをできるだけ使わない。
D.S.(ダルセーニョ)やコーダは日頃楽譜を読み慣れていない人にとっては頭がこんがらがってしまう原因。だからもし使うとしたら1回だけ。時々ダブル・ダルセーニョとかあるがもってのほかである。ページ数が少し多くなっても長い目でみたら読みやすい楽譜のほうがありがたいもの。

4)コードシンボルは大きめに。ミュージシャンでけっこう目の悪い人とかあと、暗い会場で楽譜を読まなければいけないことになる場合を考え、コードシンボルは太い線でくっきりと書く。あとテカリをおさえるためにベージュ色の紙を使うこともある。

5)ページターンのタイミングをうまく計算する。ページをめくるところが難しいフレーズの途中になったりしないよう、なるべくページターンがシンプルなセクションで起きるように行の設定を調節する。特にドラムやホーンの人は両手がふさがっているので、休みの間にページターンが起こるようにしてあげると喜んでもらえる。

ということで、参考になったかな??

これからもいろいろな楽譜を書いて音楽業界に貢献していきたいと思っているわたしであった。

サウンドチェックのトリックについて

サウンドチェックとは何か、というとことだが、簡単に言うと、本番前に事前にステージモニター/メインスピーカーの音量、バランスをチェックすること、そして、各ミュージシャンがそれぞれの楽器、アンプなどがきちんとセットアップされていることを確認する、ということ。
仕事のスケールによりサウンドチェックのやり方、かかる時間などはまちまちだが、今回はとりあえずミュージシャン各ひとりずつモニターミックスを持っている場合、(結構大きめの会場でのコンサート)というセッティングで話を進めていく。

まず、一番大切なのは、無駄な音は出さないということ。ひどい時はサウンドチェックが自分のテクニックを競い合う競争の場となりかねない。こっちではコルトレーンのジャイアント・ステップを超早いスピードで弾いてる人がいたかと思えば、あっちではチック・コリアのフレーズを弾いてる奴もいる、という音の洪水状態には決してならないように注意してください。

2番目は、自分の順番がくるまで待つ。1番目のアドバイスとダブっちゃうけど、大概はドラム(キック、スネア、ハイハット、タム)、ベース、ギター、キーボードという順で進んでいくので、呼ばれるまでは待つ。これをしきる人はMD(音楽監督)の場合もあるし、モニターエンジニアの場合もある。

3番目自分の番がきたらその日のコンサートで弾く予定の曲でサウンドチェックする。
そうすれば、エンジニアの人もバランスを決めやすいし、バンドのみんなもモニター音量のチェックがしやすい。

4番目モニターエンジニアの人とは仲良くしておくと、何かと都合がいい。怒らせると本番中にいろいろ変更してもらおうとしても無視されたりする。でもうまい人だったら、何もいわなくても全て自分の欲しい楽器がうれしいバランスで最初から入っている場合もある。

5番目、ヴォーカルもする人はとくにバックコーラスの場合は他のシンガーの人たちの声がバランスよく自分のモニターにはいっていることをダブルチェック。

6番目、ある程度バランスを見てから、なんか1曲やろう、ということになるパターンが多い、というか最低でも1曲は全員で合わせて弾けないとサウンドチェックとは呼べない。その時が勝負なので、全体的なモニターバランスを最終チェック。ここで、妥協せずにとことん自分の欲しいバランスを追求

7番目、フェスティバルなどで、バンドとバンドの間が20分しかないという時はこれはサウンドチェックではなく、ラインチェックと呼ぶ。とりあえず、みんな音が出ているかどうか、ということだけさっとチェックするのだ。言っちゃわるいけど、私はこのラインチェックしかないショーは苦手。結局自分の好きなモニターバランスになる前にショーが終わってしまうことも多々ある。でも、ここはショービジネスの醍醐味、バランスが悪くてもなんでも、演奏中の笑顔は忘れずに!

私のゲイ体験!!

ゲイとストレート
ここロスには本当にゲイの人が多くて、とくに音楽業界はそのたまり場ともいえます。ちなみにゲイでない人のことを「ストレート」といいます。私はストレートです。が、親友のメアリーいわく「一度女の子と経験したらもう2度と男に戻れないよ。」と言われて、「へぇ、そんなにいいものなのかぁ。」とちょっと考えさせられてしまった、という危ない経験付きです。

メアリーとの出会い
彼女とは、2000年に一緒にPINK(ポップシンガー)と仕事をした時に初めて出会いました。PINKがテレビのショーをするのに女の子ばっかりのバンドをつくるっていうことで、キーボードを弾いてほしい、と彼女から電話がありました。あまりにも急な仕事で他にもう仕事がはいっていた私は、最初は「スケジュールの都合がつかない」という理由で断ったのに、彼女のねばり強いことといったら、「わかった、でもとっても残念だわ。」といったのであきらめてくれたと思っていたら、1時間後にまた電話してきて、「やっぱりあなたしかいないのよ。これは運命なのよ」と言う。結局私のほうが根負けして彼女といっしょに仕事でニューヨークへ。バンド自体はドラム、ベース、ギター、キーボード2人、バックコーラスのこが2人、の7人。ロスで4日間リハーサルをしてから、いざ、ニューヨークへ、ホテルについてみると、部屋は2人1部屋ということがわかり、だれとだれが組むかというのでひともんちゃく。結局わたしはメアリーと一緒の部屋になった。その時点では彼女がゲイだってことを知らない私。夜ホテルの部屋のベッドにいっしょに横になって話をしていたら、急に「ねぇ、わたしレズなのよ。もちろん知ってたわよねぇ。」とニコニコして話してくる。「ゲゲっ、まさかわたしのこと襲わないよね」とビビってたら、それを察したのか、「あぁ、心配しないで、わたしおっぱいの大きい子が好きなの」だって。「悪かったわねぇ、ペチャパイで。。。」

その後
ツアーの後も、なにかと一緒に仕事をしてそのまま今では親友になってしまった。先日もリハーサルで、他の女の子達が、「メアリーってどうしてそんなに肌きれいなの。」と聞いたら、「わたしは女の子としか寝ないからっ。」ときっぱり言われてみんな目を丸くしていた。でもオープンなのがいいみたい。彼女の場合は男役というか、とにかく3年間で一度もスカートをはいたのを見たことがない。あとバッティングセンターやボーリングへいくとすごくうまくて、感動してしまう。困るのがわたしの友達で好みの子を見つけられたとき、「彼女はストーレートだから、だめよ」っていっても例のねばり強さでこられるのでちょっと参ってしまう。そのメアリーも先日パートナーを見つけて今はルンルンの毎日。私はこれがしばらく続きますようにと願ってる。

ロスで活躍する日本人ミュージシャン その2

今回は私の友人のタケダ・ケイコさんにインタビューしました。
ケイコさんは長年日本のブルーノートというライブハウスでサウンドレディとして活躍した後、ニューヨーク進出を果たし、現在は世界中を仕事で飛び回っています。以下がインタビューです。

質問1、
今まで、仕事した中で一番感動したアーティストは誰ですか?

沢山いすぎて1人に絞るのは大変難しいのですが、今は亡きカール・アンダーソンかな?言葉では言い表せないようなメッセージが伝わって来たし会場の皆が彼のパフォーマンスに注目し、誰1人と彼から目を離す事が出来なかった事を覚えています。
ジェームス・イングラムやロバータ・フラックも感動しましたね。

質問2、
サウンドエンジニアとして一番やりがいがあるなーと思った時はいつですか?

やっぱり、アーティストと共に良い公演が出来、お客さんから「良かったよ」とか色々と声をかけてもらったり、満足した顔を見た時。

質問3
日本、またアメリカで音響的にお気に入りのコンサートホール、ライブハウスはどこですか

まだまだ、行ったことのない場所も多いのですが、今ままでは Cerritos の Performing Art Center がすきです。
また、ウィーンのオペラハウスや、 NY のカーネギ・ホールなどはアコーステッィクの音が最高ですね。

質問4、
日本人としてここアメリカで仕事していく上でビザの問題はどうやってクリアしましたか?

良い弁護士を見つけ、こつこつと資料集めしました。
また、色々なビザがある中でどれが一番自分に合うのか見分ける事が大切です。

質問5、
女性/日本人だということだけで、いやな経験をしたことがありますか? または得な点はありますか?

女性のエンジニアっているのですが、まだまだ男性ほど多くはなく、現場とかにクルーチームで行くと私がここにいれるのはマーネジャーやアーテイストできている(寝ている)からと思っているやつも少なくありません。その場合は自分の実力を見せつけてやりますけどね。
また得な点は、気が荒いアーティスととかにもあまり怒鳴られたりしないことかな。

質問6
日本でサウンドエンジニアをめざす若者にプロとしてやってくためのアドバイスをお願いします。

日本では下積み生活とか長いかもしれませんが、それも経験の一つと思って頑張って下さい。

初めての黒人バンド その2

私が初めてR&Bを演奏する黒人バンドにはいったのが、1996年。その頃は私もロスではかけだしだったせいもあるけど、仕事のギャラは本当に低かった。今から考えるとよくあんなギャラで毎週末仕事してたよな。。このバンドはロスから1時間半ほど離れたベンチュラという町でよく仕事をしたのだが、毎週金曜日には5時頃自宅を出て7時過ぎにはそのライブハウスに着いてたかなぁ〜。で、ショーは9時スタート。45分、弾いて15分休憩というのを繰り返して、夜中の1時まで。全部で4セットあった。そのあとはバンドリーダーのマイクを手伝ってみんなでサウンドシステムを片付け、結局家に帰るのが夜中の4時近くになった。翌日は土曜日なので、その当時4歳だった息子に朝早く、目をこじあけられ、結局一日中ボーっとした状態で過ごし、またまた夜は仕事でベンチュラに戻るという結構過酷な生活をしていた。なので、元旦那は週末が休みでも私がいつも仕事で出てしまい、土曜の昼間は起きててもボーっとしているので、結局これが少なからず、離婚の原因になったといっても過言ではない。ギャラはその当時で一晩$75。日本円で1万円弱。

その黒人バンド(名前はP.Y.N.)の仕事でフィリピンに3ヶ月行くことになった。とりあえず、フィリピンに行く途中に日本へ寄って息子を両親に引き渡し、マニラへ向かった。マニラでも超一流のシャングリラ・ホテルの地下のライブハウスで週6晩演奏するのが仕事だった。P.Y.N.がこの仕事をゲットできたのは実は女性シンガーでとびきりかわいいエリカちゃんがプロモビデオにのっていたからなのに、エリカちゃんはボーイフレンドから行ったらだめ、と言われて急きょ別のシンガー(ラトニア)を連れて行くことになった。でもリーダーのマイクはプロモーターに文句言われるのがいやで、エリカちゃんが行けなくなったことを隠していたから大変。着いてからホテル側が「このデブのシンガーはなんだ!!」「話がちがうじゃないかっ!」「バネッサ・ウィリアムスみたいなかわいこちゃんが来ると思ったのに、ウーピー・ゴールドバーグを連れてくるなんて!とかんかんにおこり、もう少しで飛行機にのせられてアメリカへ帰されるか、というところを、なんとかラトニアの歌唱力を認めてもらってクリア。

その後、3ヶ月間そのホテルで生活した。楽しかったのは、別のホテルで演奏していたカナダのバンドの人たちと親しくなり、そのバンドのメンバーのみんなといろいろ情報交換したりできたことだ。そのバンドのキーボードの子は若いけど、うまい。彼からいろんなことを教わった。やっぱり、私も今から比べればまだまだ経験不足だったので、アレンジのことや、音選びのことなんかとっても勉強になった。それ意外の楽しみといえば、やっぱり食べ放題のホテルの食事かな??マニラでは1番といわれるホテルだけあって何を頼んでもおいしかった。お気に入りはナシ・ゴレング(インドネシアの料理でちょっとスパイシー)とやっぱりすしかな。。あと部屋には毎日新鮮なマンゴーをルームサービルの時にもらえてそれをガブガブ食べていた。

3ヶ月という長期にわたって家を離れてつらかったのは、やっぱり息子に会えなかったこと。モールなどで同じ年頃の子を見る度についつい涙が出てきて困った。あと、3ヶ月という長期にわたってホテルの部屋をシンガーのラトニアとシェアしなくちゃいけなかったのには困った。彼女はお風呂のあとベビーオイルを体中にぬって部屋中を裸で歩き回るという変なくせがあってその度にバスルームの床は油でギトギト、でもやっぱりいろいろお互い様だ、と思って文句も言わずに黙ってた。

と、まぁ初めてのツアーも無事終わって日本へ息子を迎えにいったら彼はすっかり金沢弁をマスターして英語を忘れてしまっていた。子供の吸収力ってほんとにすごい。そんな彼も今は高校生。今度は彼がツアーに出る番だな。。。