
おしっこもらしのおじさんとのレコーディングを無事に終えた私はめげずに例のミュージシャン・コンタクトサービスのジョブ・リスティングに電話して、キーボード奏者を探しているジョージという人のナンバーをゲットした。このジョージは出会ってからわかったのだが、ルーマニアの人で彼と仕事をするのもルーマニア・レストランだということがわかった。
年末が近づいていたので、仕事は大晦日の夜、で曲はカセットテープにもらった。これが1994年、私のロス・ミュージシャン生活を飾る最初のライブギグとなった。
もらったテープを聴いたら、あとからあとからポルカの曲ばっかり。とりあえず、全部楽譜に書きジョージとの2度目のミーティング。楽譜を見ながら、次から次と曲を弾く私に彼は大喜びだった。曲自体は難しくも何ともないけど、問題は曲の題名がルーマニア語なので、じゃあ次は何々。。。と言われても曲名が覚えられない。これは慣れるまで大変だった。なにしろこの大晦日のギグで気にいられた私はそれから1年半というもの、このルーマニア・レストランで毎週末仕事をしたのだ。レストランには専属のシンガー(この人の名前もジョージ)がいて、彼はとっても面白い人。っていうか、いかにもっていうタイプのゲイでとにかくワインを飲むときは小指を立てる、ステージの上では女の子のようにおしりフリフリして踊る、本当にマンガに出てくるような世界だった。ジョージのレパートリーは結構幅広く、ルーマニア語の曲だけじゃなくイタリア語、スペイン語、ヒブルー語、ポルトガル語というあらゆる言葉で歌った。カラオケボックスに行って必ず歌うのは「ベサメームーチョ」という母親に育てられた私なので、なんと、彼のレパートリーの中には知っている曲が多く、彼の歌もまんざらでもなかった。と、大晦日の夜、9時から演奏開始、1セット目を無事に終えた。2セット目、もう夜の10時すぎ、そろそろアルコールも入って気持ちよくなってきたお客さんはバンドがあるポルカの歌を弾くと、みんな立ち上がって踊りだした。で、そうこうしているうちにその曲も終わり、次の曲もポルカ、その次もその次も。それもだんだんテンポが速くなってくる。ふっと、時計をみると11時すぎ。バンドリーダーのジョージのほうを見たが、演奏が終わりそうにもない。この時点でお客さんはみんな輪になって大騒ぎしながら踊っている。私のほうは、というとベースプレーヤーがいないので左手でベースパートまで弾いていたので、あんまりテンポが速くなって、ウンタン、ウンタンのウンだかタンだかわかんなくなるほど頭がごちゃごちゃになっていた。一晩中ポルカを弾き続けて、なんとギグが終わったのは夜中の3時。いくらお金のためとはいえ、ここまでするかなぁ。。とちょっと悲しくなってしまった。でもそれから1年半私は毎週末がんばってそのレストランで演奏し、終わり頃には、ルーマニア語でポルカの曲を歌えるまでになり、私の歌を聴きに来てくれるお客さんまでできて、(みんな年寄りのおじちゃんばっかりだった。)いっぱいチップももらうようになった。
ポルカ自体は別に大好きという訳ではないが,ルーマニアのポーク・チョップやチキンカツがおいしくて仕事に行くたびに食事の時間を楽しみにしていた私だった。でも、1年半たってR&Bのバンドに入ることになってポルカにサヨナラした。
Music Chan ミュージックちゃん
Music Chan ミュージックちゃん死ぬまでポルカ?
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