Music Chan ミュージックちゃん
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Archive for こんな仕事しました!
April 28, 2008 at 11:16 am · Filed under こんな仕事しました!, プロミュージシャンへの最短距離
ここのところ結構楽譜書きの仕事が定期的に入ってくるようになった。なにしろここロスで音楽だけで食べていくにはただライブだけではきついので、この楽譜書きの仕事がわたしにとってはかけがえのない副収入となっている。
もともとこの仕事を始めるきっかけは友人のレニーが(彼はアレンジャー)ピーター・アースキンのオリジナル曲をコンピューターに打ち込むという仕事をわたしにくれたことだった。その当時2000年。前のダンナと別れたばかりのわたしはギグ以外になにができるか、とってもハングリーだった。そこで、レニーやそのまわりのみんなに楽譜コピーの仕事をするといい、と提案され、”フィナーレ”というソフトウェアサンプル楽譜サンプル楽譜を買うことになった。いきなり最初の仕事がホーンセクション9本とリズムセクションという大掛かりな仕事で、今でも覚えてるが一つの小さなことができないために前に進めず、説明書とニラメッコしてあぁだ、こうだ、と言っていたら朝になったという日も少なくない。そうやってつらいスタートをきったわたしだが、8年後の今、苦労も実って、ある程度自由に使いこなせるようになった。
ここ1〜2年はいろいろ有名なアーティストの楽譜を書かせてもらっている。先日もシーラ Eから電話があって、3曲お願い、とのことだった。またゴスペル/ジャズで有名はジョナサン・バトラーのライブショーを全部楽譜に落としたのは去年のことだった。ある程度、「のりこの楽譜は読みやすい」という評判がたつと、これもギグといっしょで口コミで仕事がくることがほとんど。最近は、「わたしの楽譜だと絶対にみんな読み間違ったりしませんよ。」と売り込みも上手になった。
さてどうやったら読みやすい楽譜がかけるか、とうことだが、とりあえず大切なコツを書いてみたい。
1)曲のセクションが変わる時に行も変わるように設定。
例えば、Aメロからさびに行く時は必ずさびの頭から新しい行にする。それによって、Aメロの最後の行が5小節とか6小節になってもかまわない。
2)かならずリハーサルレターをセクションごとにつける。例えば、AメロのところはレターA (Aを四角でかこんだもの)なら次のセクションはレターB、というように曲全体をセクションにわける。そうすると、リハの時に「じゃあ Bからやろう。」というふうに簡単にスタートポイントを設定できる。
3)ダルセーニョやコーダをできるだけ使わない。
D.S.(ダルセーニョ)やコーダは日頃楽譜を読み慣れていない人にとっては頭がこんがらがってしまう原因。だからもし使うとしたら1回だけ。時々ダブル・ダルセーニョとかあるがもってのほかである。ページ数が少し多くなっても長い目でみたら読みやすい楽譜のほうがありがたいもの。
4)コードシンボルは大きめに。ミュージシャンでけっこう目の悪い人とかあと、暗い会場で楽譜を読まなければいけないことになる場合を考え、コードシンボルは太い線でくっきりと書く。あとテカリをおさえるためにベージュ色の紙を使うこともある。
5)ページターンのタイミングをうまく計算する。ページをめくるところが難しいフレーズの途中になったりしないよう、なるべくページターンがシンプルなセクションで起きるように行の設定を調節する。特にドラムやホーンの人は両手がふさがっているので、休みの間にページターンが起こるようにしてあげると喜んでもらえる。
ということで、参考になったかな??
これからもいろいろな楽譜を書いて音楽業界に貢献していきたいと思っているわたしであった。
March 3, 2008 at 1:41 am · Filed under こんな仕事しました!
私が初めてR&Bを演奏する黒人バンドにはいったのが、1996年。その頃は私もロスではかけだしだったせいもあるけど、仕事のギャラは本当に低かった。今から考えるとよくあんなギャラで毎週末仕事してたよな。。このバンドはロスから1時間半ほど離れたベンチュラという町でよく仕事をしたのだが、毎週金曜日には5時頃自宅を出て7時過ぎにはそのライブハウスに着いてたかなぁ〜。で、ショーは9時スタート。45分、弾いて15分休憩というのを繰り返して、夜中の1時まで。全部で4セットあった。そのあとはバンドリーダーのマイクを手伝ってみんなでサウンドシステムを片付け、結局家に帰るのが夜中の4時近くになった。翌日は土曜日なので、その当時4歳だった息子に朝早く、目をこじあけられ、結局一日中ボーっとした状態で過ごし、またまた夜は仕事でベンチュラに戻るという結構過酷な生活をしていた。なので、元旦那は週末が休みでも私がいつも仕事で出てしまい、土曜の昼間は起きててもボーっとしているので、結局これが少なからず、離婚の原因になったといっても過言ではない。ギャラはその当時で一晩$75。日本円で1万円弱。
その黒人バンド(名前はP.Y.N.)の仕事でフィリピンに3ヶ月行くことになった。とりあえず、フィリピンに行く途中に日本へ寄って息子を両親に引き渡し、マニラへ向かった。マニラでも超一流のシャングリラ・ホテルの地下のライブハウスで週6晩演奏するのが仕事だった。P.Y.N.がこの仕事をゲットできたのは実は女性シンガーでとびきりかわいいエリカちゃんがプロモビデオにのっていたからなのに、エリカちゃんはボーイフレンドから行ったらだめ、と言われて急きょ別のシンガー(ラトニア)を連れて行くことになった。でもリーダーのマイクはプロモーターに文句言われるのがいやで、エリカちゃんが行けなくなったことを隠していたから大変。着いてからホテル側が「このデブのシンガーはなんだ!!」「話がちがうじゃないかっ!」「バネッサ・ウィリアムスみたいなかわいこちゃんが来ると思ったのに、ウーピー・ゴールドバーグを連れてくるなんて!とかんかんにおこり、もう少しで飛行機にのせられてアメリカへ帰されるか、というところを、なんとかラトニアの歌唱力を認めてもらってクリア。
その後、3ヶ月間そのホテルで生活した。楽しかったのは、別のホテルで演奏していたカナダのバンドの人たちと親しくなり、そのバンドのメンバーのみんなといろいろ情報交換したりできたことだ。そのバンドのキーボードの子は若いけど、うまい。彼からいろんなことを教わった。やっぱり、私も今から比べればまだまだ経験不足だったので、アレンジのことや、音選びのことなんかとっても勉強になった。それ意外の楽しみといえば、やっぱり食べ放題のホテルの食事かな??マニラでは1番といわれるホテルだけあって何を頼んでもおいしかった。お気に入りはナシ・ゴレング(インドネシアの料理でちょっとスパイシー)とやっぱりすしかな。。あと部屋には毎日新鮮なマンゴーをルームサービルの時にもらえてそれをガブガブ食べていた。
3ヶ月という長期にわたって家を離れてつらかったのは、やっぱり息子に会えなかったこと。モールなどで同じ年頃の子を見る度についつい涙が出てきて困った。あと、3ヶ月という長期にわたってホテルの部屋をシンガーのラトニアとシェアしなくちゃいけなかったのには困った。彼女はお風呂のあとベビーオイルを体中にぬって部屋中を裸で歩き回るという変なくせがあってその度にバスルームの床は油でギトギト、でもやっぱりいろいろお互い様だ、と思って文句も言わずに黙ってた。
と、まぁ初めてのツアーも無事終わって日本へ息子を迎えにいったら彼はすっかり金沢弁をマスターして英語を忘れてしまっていた。子供の吸収力ってほんとにすごい。そんな彼も今は高校生。今度は彼がツアーに出る番だな。。。
February 8, 2008 at 11:34 am · Filed under こんな仕事しました!
出会いはいろんなところにあるもので、ロバートに会ったのはギターセンター(ロスで有名な楽器屋さん)だった。レジのところにいたら声をかけてきて「キーボード弾くの?」というところから始まって結局彼のギグで演奏することになった。彼の音楽ははっきりいって今まで仕事した中になかった斬新な音楽で、まぁ一口に言えばロックになるわけだが昔キャプテン・ビーフハートのドラマーだった彼のニューアルバムの曲を全部覚えることになった。
CDと同じ音色をキーボードから選ぶのも一つだが、CDで演奏されているソロをそのままコピーして弾けっ、と言われてえんえんと続くソロを全部楽譜に落として弾いたのを覚えている。ある曲では「自由にソロしなさい」と言われてはりきって弾くと、「だめだめ。そんなきちんとしたソロじゃなくて、もっときちがいのように弾けないの?」と言われ、何度やり直してもだめ。そのうち「えぇいっ、これでもか!!」とひじでバンバンキーボードを弾いたら、「そうそうっ、それだよ!!なんで最初からそれができなかったの?」という調子。
さてギグの会場はスペースランド。当日は、ロバート調達の衣装を着た。黄緑のタンクトップに真っ赤の超ミニスカート、下は黄緑と黄色のスゴイハイヒールのブーツで極めつけはピッグテール(髪を2つに結んだ)。なんじゃこりゃー、というカッコ。うまく歩けなくてサウンドチェックの時にキックドラムがどんどんしてる横で一生懸命歩く練習。しかし、お金のためとはいえここまでやるかなぁ。と自分自身に感慨無量。
ショーも無事進みファイヤーという曲になり、CDと同じソロを弾き始めたとたん、わたしの横にあったモニタースピーカーから煙が出てきた。でも、曲をやめるわけにはいかない。ので、引き続けていたら今度は火がボーボーと出てきた。これはあとで撮ったビデオを見たのだが、この時点でやめればいいのに、顔をひきつらせてソロを弾き続けている私。で、結局その火がついたスピーカーはわたしのソロの途中で係りの人がステージからどっか別のところへ持っていってしまった。その間ソローだけは決して止めないで弾きつづけた私。このプロ根性には自分自身に拍手!!
ロバートのギグで楽しかったのは、ロバートの彼女のようこさんといっしょに演奏できたこと。ようこさんはとってもひたむきでとてもうまく(キーボード)、おまけに歌もうまかった。彼女といっしょに演奏できたのは今でもいい思い出だ。ということで、私のクレイジーな体験第2弾。
July 28, 2007 at 5:13 pm · Filed under こんな仕事しました!

今まで、黒人音楽をあまり知らなかった私が、例のミュージシャン・コンタクトサービスである黒人バンドがキーボードプレーヤーを募集していることがわかり、オーディションに行くことになった。その当時は3歳だった息子連れでノースハリウッドにあるスタジオに行くと、バンドリーダーのマイク(ドラマー)とアート(ギター)が待っていた。で、二人は次から次へとR&Bのカバーソング(ヒット曲)の名前を言って、「これ知ってるか、あれ知ってるか?」と聞いたが、私はジャズは知ってても、R&Bはあんまり免疫がなくどれもこれも全然知らなかった。二人は「ちょっと待っててね。」と言って、奥の部屋に行きこそこそ話してるのがちょっと聞こえてきて、She Ain’t Good. 「あの子は全然だめだ。」と言っているのがわかり、ここはなんとか名誉挽回しなければ、と「すいませ〜ん。バンドのレパトーリーの曲のカセットテープってありますか?」と聞いたら、全部で30曲はいったテープがあるとのこと。なので、とりあえず、そのテープの曲を全部覚えてくるから、と約束し1週間後に会うことにした。今から考えたら笑っちゃうが、その当時ジェームス・ブラウンもプリンスも知らなかった。
さて、1週間30曲を全部楽譜に書き、猛練習してまたスタジオでミーティング。「どの曲がいいですか?」とりあえずマイクの選んだ1曲目を弾いたら、アートもマイクも目をパチクリ!とにかくキーボードパートといえるものは全て楽譜に書き音色もきちんとセットアップしたので、二人とも本当にびっくりしていた。3曲目を弾き終わって、二人がまた奥の部屋で話しているのが聞こえた。今度はShe is all right.「なかなかいいじゃないか。」ということで、私は初めての黒人バンドの仕事をゲットした。
July 25, 2007 at 6:04 am · Filed under こんな仕事しました!

おしっこもらしのおじさんとのレコーディングを無事に終えた私はめげずに例のミュージシャン・コンタクトサービスのジョブ・リスティングに電話して、キーボード奏者を探しているジョージという人のナンバーをゲットした。このジョージは出会ってからわかったのだが、ルーマニアの人で彼と仕事をするのもルーマニア・レストランだということがわかった。
年末が近づいていたので、仕事は大晦日の夜、で曲はカセットテープにもらった。これが1994年、私のロス・ミュージシャン生活を飾る最初のライブギグとなった。
もらったテープを聴いたら、あとからあとからポルカの曲ばっかり。とりあえず、全部楽譜に書きジョージとの2度目のミーティング。楽譜を見ながら、次から次と曲を弾く私に彼は大喜びだった。曲自体は難しくも何ともないけど、問題は曲の題名がルーマニア語なので、じゃあ次は何々。。。と言われても曲名が覚えられない。これは慣れるまで大変だった。なにしろこの大晦日のギグで気にいられた私はそれから1年半というもの、このルーマニア・レストランで毎週末仕事をしたのだ。レストランには専属のシンガー(この人の名前もジョージ)がいて、彼はとっても面白い人。っていうか、いかにもっていうタイプのゲイでとにかくワインを飲むときは小指を立てる、ステージの上では女の子のようにおしりフリフリして踊る、本当にマンガに出てくるような世界だった。ジョージのレパートリーは結構幅広く、ルーマニア語の曲だけじゃなくイタリア語、スペイン語、ヒブルー語、ポルトガル語というあらゆる言葉で歌った。カラオケボックスに行って必ず歌うのは「ベサメームーチョ」という母親に育てられた私なので、なんと、彼のレパートリーの中には知っている曲が多く、彼の歌もまんざらでもなかった。と、大晦日の夜、9時から演奏開始、1セット目を無事に終えた。2セット目、もう夜の10時すぎ、そろそろアルコールも入って気持ちよくなってきたお客さんはバンドがあるポルカの歌を弾くと、みんな立ち上がって踊りだした。で、そうこうしているうちにその曲も終わり、次の曲もポルカ、その次もその次も。それもだんだんテンポが速くなってくる。ふっと、時計をみると11時すぎ。バンドリーダーのジョージのほうを見たが、演奏が終わりそうにもない。この時点でお客さんはみんな輪になって大騒ぎしながら踊っている。私のほうは、というとベースプレーヤーがいないので左手でベースパートまで弾いていたので、あんまりテンポが速くなって、ウンタン、ウンタンのウンだかタンだかわかんなくなるほど頭がごちゃごちゃになっていた。一晩中ポルカを弾き続けて、なんとギグが終わったのは夜中の3時。いくらお金のためとはいえ、ここまでするかなぁ。。とちょっと悲しくなってしまった。でもそれから1年半私は毎週末がんばってそのレストランで演奏し、終わり頃には、ルーマニア語でポルカの曲を歌えるまでになり、私の歌を聴きに来てくれるお客さんまでできて、(みんな年寄りのおじちゃんばっかりだった。)いっぱいチップももらうようになった。
ポルカ自体は別に大好きという訳ではないが,ルーマニアのポーク・チョップやチキンカツがおいしくて仕事に行くたびに食事の時間を楽しみにしていた私だった。でも、1年半たってR&Bのバンドに入ることになってポルカにサヨナラした。
July 6, 2007 at 9:02 am · Filed under おもしろ体験記, こんな仕事しました!

1993年の3月にロスに来た私。といってもその当時1歳の息子がいたので、半年間は子育て一本。でもそのうち音楽の虫がむずむずして「なんかしたい。」「外に出たい!」で、仕事探しをすることに。
まず、知り合いで音楽関係の仕事をしてる人が全くいなかったので、とりあえず電話帳でmusicのセクションを開き”ミュージシャンズ・コンタクト・サービス”という会社を探して電話した。その当時で確か$45払うと2週間ジョブ・リスティング・ホットラインという電話番号にアクセスすることができた。でその中から自分ができそうな仕事を見つけて先方に電話するという手順だ。3日目に電話したときイタリア歌曲をレコーディングしたいという人がピアノ奏者を探しているのがわかり、早速連絡した。こうして私はロスに来て初めてのレコーディングの仕事をゲットしたのだ。
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